焼鳥雑学【もも編②】 歴史

焼き鳥の雑学

前回のももについての雑学では、ももは焼き鳥の王道・焼き鳥屋の味と言われているという事についてお話しました。

今回ではちょっとした歴史について紹介したいと思います。

もしかしたら、どうして【もも】が焼き鳥の王道・焼き鳥屋の味と言われるのかがわかるかもしれません。

もも 雑学 目次

  • 【ももについて・歴史編 🔶平安時代🔶】
  • 【ももについて・歴史編 🔶室町~江戸時代🔶】
  • 【ももについて・歴史編 🔶明治~昭和🔶】

①【ももについて・歴史編 🔶平安時代🔶

まず、焼き鳥がいつから食べられていたのかについては、実は明確な記録・資料が残っていない為、わかっていません。

ただ、鳥肉(※野鳥)を焼いて食べるという食事形式については、平安時代からすでに存在していたそうです。

この時は鶏は食用禁止となっていた為、雀やウズラといった野鳥です。

(※鶏肉と鳥肉には違いがあります。後ほど説明します)

野鳥を狩猟し、串に刺して焼いていたという記録があるそうです。


②【ももについて・歴史編 🔶室町~江戸時代🔶

室町時代になると、鳥の串焼きが作られていたそうですが、これも雉(キジ)などの野鳥だったそうです。

焼き鳥と言う名称は、江戸時代からと言われております。

この時には、串打ちした鶏肉に塩をふったり、酒に醬油を加えた、今でいう【タレ】のような味付けをしているので、現在の焼き鳥にかなり近い形になっているのではないのかなと思います。


③【ももについて・歴史編 🔶明治時代~昭和🔶

明治時代になると、やきとり屋台も登場し、鶏肉以外にも内蔵や牛豚などを使用した串焼きのお店も増えてきたそうです。

昔は鶏肉は高価な食材だったこともあり、昭和初期までは【高級やきとり店】という扱いだったそうです。

(※焼き鳥とやきとりの表記は意味が違います。今度説明致します)

昭和の戦後になり、ブロイラー(※若鶏)が普及するようになりました。それからは価格も安くなり一般家庭でも食べられるようになりました。

そして焼き鳥屋もその頃から、【もも肉】・【むね肉】だけだったのが、内臓系などの焼き鳥の種類が増えていったそうです。

こうして歴史を振り返ってみると、焼き鳥の【もも】が焼き鳥屋の味・王道、象徴と言われるのには、昔から長い間、ももを食べられていた事が関係していたからかもしれませんね(^_^)

以上、焼鳥雑学【もも・歴史編】についてでした!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

少しでも焼き鳥を知ってもらえたら嬉しいです(^_^)

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